
メメント(2)
11月 27, 2008「メメント」 森達也
前回の続き。
やっと読み終わった。
やっぱりこのスカッとしない感じがいい。
読み終わった後にいろんなことが頭の中をぐるぐる回ってるような感じ。
ただ、なんか以前の著書と微妙に雰囲気が違う。寓意的な章が多い。
本当は間接話法にしたいのだ。メタファーを紡ぎたい。意味を訊ねられたならば、會川のようにとぼけたい。なぜならそのほうが人の心に届く。
―広島での出会い。そろそろ区切り!?
メタフォリカルな表現が多いのは本人の意向らしい。
メメント(1)にて欠落について引用したが、メタファーも本来の意味との繋がりを欠落させることで相手の想像力を喚起させていると見れば、欠落というものが表現において重要な要素のように思えてきた。
.
また、それとは別にこんな話が載っていた。
高等動物の細胞はテロメアのメカニズムからは逃れられない。でも例外が二つだけある。そのひとつは生殖細胞。つまり精子と卵子だ。(中略)生殖細胞はテロメアを修復する。このとき使われるのがテロメラーゼという酵素だ。(中略)ガン細胞もテロメラーゼを持っている。だから無限に増殖する。
―生体の中で交錯する様々な生と死
死は多くの人間にとって避けるべきもののはずなのに、テロメアによって死が生まれた時からプログラムされている(まだ未解明の部分が多いようだが)というのはどうもすんなり納得できるものではない。
単細胞生物はテロメアが無く理論上永遠に分裂し続けるらしいが、人間の死を細胞の死と定義した場合には、生殖細胞が代々受け継がれ続けていることを考えれば、極論だけど人類が滅亡しない限りかすかでも生き続けると考えることもできる。
でもそんな考えはなんというか人間らしくない。
個人的には、自分以外の誰かが自分の死を認識した時がいわゆる自分の「死」なんじゃないかと思う。なんとなくだけど。
そんな考えのが人間っぽいと思う。
.
・・・あーもなんか無駄に重くなってんな。
いわばアポトーシスやネクローシスは、全体のための個の死ということになる。(中略)個々の身体の中には、様々な死と生とが目まぐるしく交錯している。
―生体の中で交錯する様々な生と死
結局何が言いたいかって生きるとか死ぬとかって雲をつかむような話だけど、実はすごく身近なとこにあったってこと。
「驚異の小宇宙・人体」ってNHKの番組があったけど、まさしく宇宙みたいなもんだと思う。
分からないことだらけだけど、それが面白い。
「驚異の小宇宙・人体」
林教授の作品じゃないかww懐かし~~~
ってか中々ぶっ飛んだ内容になってるのね 笑。
でもそーゆ話オレも嫌いじゃないw
専門的な話にはついていけんけど、人間ってのは良くも悪くもやっぱり凄い生き物だなーとつくづく感心してしまうわw
いやーあの教授の授業もなかなか大変だったなw
懐かしいよなぁ。
俺もこの話題については正直よく分かってないから色々間違ってるとこあるんだろうけど、やっぱ人間も含む生物は凄い仕組みで動いてるんだなと思うわ。